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消防職員を長く経験された
先生方がいることが入学の決め手。
高校生の頃から消防職員になりたいと思っていました。実家がある大阪で阪神淡路大震災を経験し、テレビで消防隊や救急隊員の方が懸命に救助活動をされている姿を見たことが影響しているのかも知れません。でも、そのときはなぜか、女性は消防に入れないと思っていました。その後、短期大学に進学し、卒業してからは一般事務の仕事をしていました。ところがある日、雑誌を見ていたら女性の消防職員が紹介されていたんです。「えっ、女性でも消防職員になれるんだ」って驚いて、高校生の頃の気持ちが再燃しました。それからは自分なりに勉強し、消防職員になるために消防職員の採用試験を受けてみましたが合格できなかったので、それできちんと勉強をしようと決め、全国の民間の救命士の養成校を調べました。
そのときに見つけたのが東洋医療専門学校で、新たに救急救命士学科を開設するために準備を進めているところでした。新大阪にできるということで、自宅のある大阪市西淀川区からも近く、すぐにオープンキャンパスに参加しました。ほかの専門学校も見学したのですが、働きながら学べる夜間部があるのは、当時は関西では東洋医療専門学校だけで、消防職員を長く経験された先生方がおられ、現場の実体験に基づいた指導が受けられるところにも大きな魅力を感じて入学を決めました。
先生方は厳しかったけれど愛情があり、
怒られてもまた頑張ろうと思った。
東洋医療専門学校に入学したときは、24歳でした。当然、働いていた会社を辞めることになったのですが、消防職員になりたいという気持ちの方が強かったので、年齢や将来への不安はなかったですね。ただ、そうはいっても自分が決めたことで親に迷惑をかけたくはなかったので、昼間に歯科助手のアルバイトをしながら収入を得て、救急救命士学科の夜間部に通うことにしました。クラスメイトには現役の消防職員や看護師のほか、いろいろな職種の方がおられ、年齢層も幅広かったですね。みんな将来に向けてとても真剣で、それぞれが胸に抱いた思いや考え方を聞くだけで刺激になりました。授業では、あらゆる救急現場を想定した実習があり、そのときに学んだことは今でも役に立っています。先生方は厳しかったですが、そこには学生への愛情が感じられて、怒られても頑張ろうという気持ちになりました。国家資格の取得、消防本部への就職活動など、先生方にはすべてをサポートしてもらって今でも感謝しています。
将来、結婚して子どもを産んでも、
ずっとこの仕事を続けていきたい。
私の場合、救急救命士の有資格者だけが受験できる「救急救命士枠」で、伊勢崎市消防本部に採用が決まりました。今はもう伊勢崎市にはその枠はありませんが、ほかの消防本部では実施されているところもあるようです。こちらの消防職員は兼務制で、救急だけでなく火災などの要請にもすべて出動します。先日、出火建物の周囲の民家に延焼する危険がある火災現場に出動し、何とかその家だけで消しとめることができたときはホッとしました。また、救急や火災の現場で不安を抱えて怯えている女性やお子様に対して、私が第一声をかけると安心して話をしてくださることも多いですし、救急出動で患者さんを病院搬送したあと、ご家族の方から「ありがとう」と言われると、この仕事をやっていて本当に良かったという気持ちになります。
これから先、結婚して子どもを産む日もくると思いますが、ずっと仕事は続けていきたいですね。それだけの大きなやりがいを感じています。
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上司の声
群馬県伊勢崎市消防本部・赤堀消防署
課長補佐・消防司令師
糸井 努さん
社会人経験をもつ矢八さんは仕事に前向きで、
女性消防職員たちのリーダー的存在です。
消防職員が救急救命士になるには、消防署の勤務を離れて消防職員のみの養成所に約半年間通わなければなりません。矢八さんのように最初から救急救命士の資格を取得されていれば、勤務体制に影響がでないので助かりますし、本人にとってもすぐに現場へ出られる利点があります。矢八さんは社会人を経験していることもあり、仕事に取り組む姿勢がとても前向き。女性消防職員たちのリーダー的存在として、これからもみんなを引っ張ってほしいと思います。
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