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青春をかけたソフトボールを引退後、
「救急救命士」が新たな目標になった。
高校時代、ソフトボールの強豪校でプレーしていて、全国大会にも出場したことがあります。その活躍が認められ、卒業後はオリンピック選手も輩出している実業団チームにスカウトされて入社しました。当時は工場勤務のあとに練習をするという毎日。ポジションはキャッチャーだったんですけど、ケガなどもあって3年で現役を引退したんです。それからは大阪の営業所に異動になり、3年ほど営業アシスタントとして勤務しました。会社はIT・エレクトロニクス関連機器メーカーで、仕事に不満はなかったけど、ソフトボールを辞めてからは将来の夢を見失いかけていたんです。何か手に職をつけておいた方がいいのでは……という思いを抱き、資格関係の本を読んでいるときに出会ったのが救急救命士でした。まったく未知の世界でしたが「人の命を助けること」に感銘して心を動かされ、この仕事をめざしてみようと決意して会社を辞めました。昼間に働きながら学校に通いたかったので、救急救命士学科のなかでも夜間部がある東洋医療専門学校のオープンキャンパスを訪ねました。そのとき、先生がすごく熱心な方ばかりで、たいへん雰囲気もよく、ここで学んでみようと入学を決めました。
さまざまな実習や海外研修、学生時代のすべてがいい思い出。
実際に授業がはじまって驚いたことは、クラスメイトの目的意識の高さ。社会人経験のある学生もいれば、高校卒業後に直接進学してきた学生もいて、一人ひとりの存在が刺激になりました。先生を中心にすごく仲がよくて、今振り返ってもいい思い出しか浮かびません。救急用自動車同乗実習、病院実習など、授業もすべてが充実していました。とくに忘れられないのが、海外研修でアメリカに行ったこと。希望者のみの参加でしたが、海外の消防署を見ることができ、学ぶことが多かったですね。昼間は学校からの紹介で病院に勤めていましたが、正社員扱いだったので給与もよく、ボーナスももらえて、学費に充てることができました。働きながら学ぶことは大変でしたけど、クラスのみんなが同じ状況なので、お互い励ましあって頑張ることができました。卒業式ではみんなと別れたくなくて、めちゃくちゃ泣きましたね。クラスメイトとは今でもよく会い、仕事についてなど情報交換を行っています。社会人生活を辞めて、もう一度学び直すことは私にとって勇気のいることでしたが、こうして中央消防署の救急隊員として活動することができ、かけがえのない仲間とも出会えることができて、東洋医療専門学校で学んで本当によかったと思います。
女性らしさを活かしながら頑張り、将来は出産後も活動を続けたい。
現在私は、栃木県の足利市中央消防署・東分署で勤務しています。消防には「火災」「救急」「救助」の3つの活動があり、すべてに携わる場合が多いのですが、東分署では救急救命士に関しては専任で活動を行うことになっています。連絡を受けて救急車に乗って現場に駆けつけるときは、今でも緊張します。どの病院への搬送を選択するか、どのような処置を施すか、私の判断ひとつで患者さんの状態が変わると思うと責任は重大ですが、やりがいも大きい。現場で高齢者の方に「やっぱり女性隊員は気配りが違いますね」といわれたときは、すごくうれしかったですね。夢を見失いかけていた社会人時代から学生生活を経て救急救命士になり、今は仕事への意欲にあふれています。公務員なので休日面や福利厚生面もしっかりしているほか、将来結婚・出産しても働くことができる環境が整っているので、これからもずっと頑張り続けていきたいですね。
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上司の声
足利市中央消防署・東分署
第一係 係長 消防司令補
新藤 節さん
社会人としての経験は、
救急救命士としてきっと役立ちます。
救急の仕事で大切なことは、傷病者との接し方だと思っています。もちろん、高度な医療行為を行うためのスキルも求められますが、それ以前に傷病者にやさしい声を掛けるなど、人を思いやる気持ちがなければなりません。その点、安井さんは社会人経験があるので、傷病者との接し方も私たちとは違う視点をもっています。それはとてもプラスなことで、他の職業を経験してから救急救命士をめざすことはいいことだと思いますね。 |
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